介護のいま

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在宅介護

在宅介護に足を踏み入れると、入所とは違う様々な課題が見えてくる。

ケースとしてある方は手すりがあれば軽介助でトイレに行く能力がある。

本人も自宅でもしてみたいと同意を得ておいる。

しかし家族が拒否すると出来ないんですよね。

 

ちなみに私は排泄パターンを長く(しぶしぶ)研究してきました。

朝排尿使用済みのパットの量をはかったり。

こだわりに近い持論なんですがトイレに行く能力がある方は寝る前にお連れしたい。例え尿意が無くても。

 

在宅介護は主介護者が介護が楽になる提案であっても難しいケースや独特の介護方法が沢山あります。自宅の環境や元々の家族間の関係性、地域性、様々な課題があります。

 

課題は多いですが楽しみたいですね。

上にあげたケースは自宅でトイレ介助は出来なかったけど、自宅のトイレが見れたと前向きにいきたいものです。

 

お読み頂いてありがとうごじます。

 

 

ミスをふせぐ体制作り

ある日施設の日勤ナースが「今日Aさん体調悪いのでご飯半量で」と申し送りに記載して帰り、私が夜勤で来たときに遅番のリーダーから聞きました。

厨房連絡は間に合わないので私達で半量にするという指示です。

食事は結果的に全量だされてしまいました。

もう1人の遅番の方は入浴を頑張ってくれていたので申し送りを読む時間がなく配ってしまったのですね。

 

結果的に幸いご飯半量は特に医療的な根拠があったものでもなく健康被害があるものではありませんでした。

私も遅番の人に声をかけてなかったですし(その方なら入浴で休憩がおしても把握してくれているという油断があるりました)体制の問題だったんですね。

私達はすぐに動きました。遅番全員(といっても2人ですが)申し送りが聞ける体制に整えました。

休憩前に申し送りを把握しないといけない遅番の方に配慮したものではなく、このケースより大きいミスを事前に防ぐ為です。

 

この手のスピード感のある動きは同じ事業所であってもその中の居る場所によって違ったりします。

スピード感のある場所での経験がある人は次の場所でも忘れないようにしたいですね。

職員間の連携、大事ですね。

 

お読み頂きありがとうございます。

入浴拒否

介護の仕事をしていると入浴拒否ってありますよね。

入浴拒否がデイサービスで困るのは基本は家で入れる環境がないから入浴をしているため、その日(決まった曜日に通われている)入れないとサービスの意味が半減してしまう。

一方入所施設だと、日をずらす事はできますが週2回は入ってもらわないといけない事と「入る」だの「入らない」だの言っている内に時間だけが経過してしまい他の方の入浴時間がとれない(他の方と時間の約束をしている場合もあるのでその方にも迷惑をかけてしまう)という所でしょうか。

 

さて本題です。認知症の方は何故かお風呂が嫌い?(個人の主観)

新人の頃、入浴拒否をされて困る方がいました。

年代は80代位。男性。認知症の進行されていますが体は元気な方でした。何かと怒りやすく、かといってその場所では一応生活をしてくれる。

入浴はしっかりと声かけをしても拒否されましたし、様々なお試しを皆でしてもダメでした。

どんな方なんだろうと考えた時に妙案が浮かび、入浴拒否も限界だった日に実行にうつしました。

私が考えた作戦は声大き目、テンション高め、低姿勢で「先生。耳寄りな話が、こんあ所で立ち話もなんなんで」と脱衣所にお連れする方法でした。

一度入ってしまうとしっかり長湯までする方なんで、耳寄りな話は何だと聞かれませんでしたが聞かれたら「今日のおやつは・・」とメニューをお答えしようと思っていました。

 

この勢いでその方を脱衣所にお連れする作戦は職員に広がり入浴担当で無いときも「例の声かけお願い」と入浴担当に脱衣所までお連れする係になりました。

利用者に飽きられたときに違うパターンを考えたり、違う日は思ったよりテンション高く声かけできなかったり。

 

ポイントは勢いで入浴してもらう事で無く、相手がどんな態度でどんな声かけなら、とりあえず脱衣所には来て最終的に入浴してもらえるかを新人なりに考えた事だと思います。(家族が見ていてもその方の場合、多分私はこの作戦をしていました)

新人とはいえなくなった立場になるにつれ、こんな事出来なくなりましたね。

 

適切かどうかもわかりませんでしたし、本来何故入浴をしたくないかをしっかり聴いて根拠ある対応をするべきでしょう。

しかし時として認知症ケアで相手に何かをしてもらう時(今回はお風呂に入ってもらう)は雰囲気作りが重要な事が往々にしてあります。

私は見た目も真面目なタイプなんですが真面目にあたかもふざけている様な事をしてしまう節が当時あったんです。

 

何年も前の事ですが振り返って今でも思うことは、利用者に対して入浴しないことを責めるより(入所だと実際にいます)そして自尊心を傷つけない様に務めた事は全然よかったと思います。

入浴拒否で入ってもらえる魔法の言葉は今もありません。

 

お読み頂いてありがとうございます。

 

 

 

しりとりが出来るのか

マンツー対応。あんまりやってこなかった。

デイサービスで勤務していた時に徘徊して外に出てしまうリスクがある方をマンツー対応した時です。

帰宅時間まで後1時間。とにかくなるべく座って過ごして欲しい。

そんな方を目の前に2名座って頂きました。2名とも認知症で落ち着かない方です。(2名なのでマンツーでは無いですね)

苦肉の策で私の口からでた提案が「しりとりをしましょう」でした。

1人の方とは成立したのですが、もう1人の方は成立しない。

成立しないので私の口からでたのが「その服どこで買ったのですか?」でした。

あんまりやってこなかったのですが、私の普段見せない真剣に超真面目にふざけるという事の必死さに他の利用者さんは笑ってくれてました。

その状態をたまたま見ていた相談員が「すごい介護をするな」と予想外の事を言ってくれました。

その日の収穫はその方はしりとりが出来ない事がわかった事だけです。

 

認知症ケア専門士という資格もあるようですのでそのうち取得してみようと思います。

取得過程もリアルに発信出来たらなと思います。

実は私は認知症ケアの正解なのかわかりません。わからないなりに相手がどんな事が喜ぶのかを考える事は観察して実行は随分してきましたが。

 

 

お読み頂きありがとうございます。

 

 

実務者研修

実務者研修の頃。

寝て起きて仕事。休みの日研修。

うーん。やる気しか無かった。

前に進んでいる感じしましたしね。

今回は自宅学習の話をしていきます。

私が受けた頃の実務者研修は自宅学習4ヶ月位(レポ-ト毎月提出)

晴れて座学となっていました。

当時の勉強する習慣。今も継続できていればなぁ。

テキストを見ながらのレポートはそんなに大変じゃありませんが、勉強を継続してすること事態が大変でした。休みの日まで介護の事考えるのかと。

私の時はマグローの五段階欲求は介護福祉士試験に出ましたのでこの実務者研修期間に完全に理解した方がいいと

承認欲求を含めて欲求の話です(ちなみに「夜と霧」でこの説は否定されています)

 

 

「介護課程」

アセスメント→計画→実施→評価のプロセスを介護課程といいます。

これは居室担当とかやりながらなので本当に身につきました。

ケアプランを作るのに絶対に抑えておきたい。

介護で言う「根拠」を突き詰めたり、お試しでやってみて後付けで「根拠」になることもあるのですが、介護と言っても身体状態がよくなる方(病院から退院して生活レベルやADLをあげる方や在宅に復帰を目指す方)もいますのでその方の「過去」「現在」「未来」によく目を向けて考える事。現在に目を向けながら過去と未来を考えての仕事ですよね。

私は人間に対する好奇心が強くて介護課程楽しいですね。

ADLをあげる前にふさぎこんでいる方を担当した時は、自分が考えた中・長期的な目標を達成して頂く為に毎日「今日はどうですか?」と毎日傾聴から入ったり。

利用者さんが「やってみようかな」と言って頂いた時はうれしかったなぁ。

 

自宅学習でも座学でもロープレや実技でも色々勉強したはずですが私の場合は「介護課程」が一番身についた気がします。

最近はレバウェル介護のように派遣会社に登録して勤務して無料で研修を受ける方も多いみたいですね。

実費だと結構高いですもんね。

 

お読み頂いてありがとうございます。

 

案外と休みがとれる話・自分のいる場所

友人が数年間限定でヨーロッパのある国に住んでいましたので2回訪れる事が出来ました。

2回目はコロナの前2019年。半年位前に休みの希望と航空券手配を済ませました。8日間。

懐かしい友人と再会。その国の田舎をドライブしたり他国に行ったりと気分転換をしました。

行く前はかなり頑張って働いてたんですが、海外の方の働き方をも見ると

「自分達の常識って世界では非常識」

って感じた事もありました。

夜勤明けて翌日飛行機。

日本での様々な事が無かったような開放感。

飛行機で寝て帰って寝て翌日勤務。

 

不思議なもので一週間分の申し送り読んでいると「自分の居場所に戻ってきた」と感じたものです。

仕事ばかりしていたので短期間でも色鮮やかな風景に感動しっぱなしの旅が出来ました。

旅もそうですし好きな事をして気分転換すること、今を大事に生きる事は高齢者介護をしていると身をもって感じます。

介護の仕事。気分転換も大事ですし、意外と前もってお願いすれば有給も使えます。

正社員でも休めましたから。

 

そして翌年2020年からはコロナ。旅無き日常。仕事は当然あるけど気晴らしが出来ない日々。思い出だけで耐えました。(人は思い出だけじゃ生きていけないと昔利用者さんに言われたなぁ)

 

いつかの私のように「自分のいる場所にかえってきた」と思えるのはそこに人が生きて社会があるからですね。

ここまでお読み頂きありがとうごいざいます。

 

精神的に支えられた事支えた事 異動すること

同じ事業所内でも異動を何度かしてまいりました。大体私の意向では無く大変な所に異動してきたような感じです。あんまり気が乗らない事や異動して後悔した時期もありましたが一カ所にいるより様々な経験ができたし、見ている方には見てもらえたなと思います。

 

何年も前の異動先は本当に忙しく「こんなんでええんかな」という位、一人一人に寄り添う時間が足りない。

しんどくなってくた時は上司にも相談しましたが、同じタイミングで入職された、いわば同期のような人がいました。

その人とよくディスカッション。思っている事を話したり聞いたり。その方の存在はかなり助かりましたね。数ヶ月後には「喉元過ぎれば」では無いですけど「こっちの方がいいな」と思ってたりしましたが。

そこに数年いてまた異動した先は、若手が多く(10代後半!から20代前半)自然と意見や不満をため込まないように・相談をよくされる関係になりました。若く頼もしく気持ちがいい素直さがある10代から20代前半の人と働く事を私は楽しんでいたのだと思います。

 

その後、オミクロンによる出勤停止(当時は家庭内での陽性者で長い期間休まなくてはいけなかった)による職員の絶対数の少なさ。終わりが見えないコロナか。若手を精神的に支える役割を幾分か出来たと思います。

若者は宝ですからね。

人間に対する理解が求められる仕事。誰かに支えられたり支える事は得意な人が多いんですよね。昔人に支えられた分、他の人に支えかえす。

 

異動は「この場所で必要なパーツになる」事を無意識に大事にしてきたように思います。コロナの状況下精神的に若手を支えるという役割を与えてくれた事が成長や経験につながりました。

それはどこでも求められる事ではなく「今このパーツがこの場所で必要」と察知したからだと思います。

それまでも例えばレクが苦手な職員が多い場所ではレクに力をいれてみたり残業が難しい方が多い所では「やった方がいいけどやる時間が無い」ような事をやる時間があるからしてみたりと。

 

異動先では「しっかりと0からはじめる」事を大事にしていきたい。

立場や年齢、これまでの経験で求められている事が変ってきていても精神的には0から(本来0では無いんですが)学んでいく。素直に謙虚に。新しい自分の発見につながると思います。

環境の変化は得意では無いと思っていましたが、環境の変化はチャンスでもありますね。介護福祉士は日本どこでも仕事はありそうですし。

 

お読みいただいてありがとうございます。

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