その頃私は疲れていた。
早番、遅番、夜勤。朝も昼も夜も・・不規則な生活。
ハードデイズナイト。お酒の量も増えていた。
世間はまん防でまだまだ閉塞感があり、濃厚接触者の定義があったたため
家庭内で陽性者(主に子供)がでると出勤停止。
職員の陽性者・家庭内での陽性者が続き出勤できる職員の数は減り、相談出来る上司は出勤出来ず。
それでも年配のパートの方(本当に頭があがらなかった)が頑張り、若い後輩達も頑張っている(思う事もあったようでよく相談を受けていた)
正社員の私が頑張らない訳にはいかなかった。
いくつかの会議が中止になり、お風呂の表作成に出勤職員の人数と計算しては、自分が残業・早出をする。
時々ではあるがなんのために毎日疲弊しているかわからないような日があった。
コロナは人間性をあぶりだすような病気。だからこそこういう時は明るく。
これが(当時)過去2年間のコロナかで私が思ってきたコロナ感だった。
(もうその頃には世間もコロナに対する価値観が人によって変ってきていた)
毎週PCR検査や抗原検査を何度もしてとにかく毎日必死に生きて「はい。陽性」と言われないことを願った。オミクロンによる職員不足は終わりのないように見えたし6波~8波は本当にひどい状況だった。
そんな中頑張る医師・看護師・そして我々介護に関わる人たち。
意地を見せた人間もいる。施設内クラスターで働き過ぎて「いっそ陽性になりたい」と言った人間もいる。
まだまだ感染症事態はなくなる事はありませんが職種関係なく
本当にお疲れ様でした。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。
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