介護の仕事をはじめて最初に出会った利用者の中でも特に印象に残った方がいる。
年齢は80代。息子は独立されている。
この方の話が面白かった。
まず人生の喜怒哀楽を毎日話してくれるし、聞けば聞くほど浮き沈みの激しい人生を送ってこられた方。
学校は東京にある誰でも知っている超有名大学をお出になったらしい。
学校は好きだった様子で朝起きると見当識障害の症状がしばらくあり「学校に行かないと」とはじまる。最初の夜勤では驚いたし嫌う職員もいたけど私は対応がすぐにできた。
ネットで「見当識障害 対応」とかググれば当時でも何かしら答えは出てきましたし。
私は純粋に「学校好きだったんだなぁ」とか思ってました。
海外赴任の話。何度聞いても面白かった。その時代に海外赴任されてきっとその方の人生の特別な彩りのある時期だったんだなぁと思わされた。
会社の倒産・奥様との死別。
奥様が亡くなった事も忘れちゃうんですよね。
ずっと奥様の心配をして話を聞いていると、しばらくすると本人から「あ、死んだんだ」って思い出される。
哀愁の念も感じますし、月並みの表現ですがやはり人生の大先輩なんだなぁと。
急に思い出す話、仙台で何を見たとか、この地方に来た理由、子供の頃の思い出一つ一つの話が昨日の事のように話す事が出来る不思議な能力がある方で、聞いている方も情景を思い浮かびやすい。
この方の人生や生活史、生きてきた時代、価値観・社会・流行っていた歌。
自分が知らない時代を話して頂けて本当に話していて楽しかったです。
東も西も知っていて「ミナミ」と言っても「桜木町」と言っても「仕事で行って終わりに宴会で酒飲んだ」と話してしました。話題が豊富でトータルで楽しい人生だったんじゃないでしょうか。
毎日最初の頃はこの方が楽しいから出勤していたような気さえします。
波瀾万丈な人生は高齢になってからも続くんですよね。
サービス利用中に(利用者相手に)恋をして、喧嘩して(職員としては困る行動ですが)
ある夜中に「あんただけが頼りなんだよ」なんて言われたら大事に思ってしまいますよね。
*見当識障害とは
見当識障害は一般に時間・場所・人の順番で記憶が薄れ進行が進むと目の前の人が誰かわからなくなる症状です。
例えば(別の女性の方で実例ですが)時間の経過をわからならなくなり、子供がまだ小学生で家で待っていると思ってて(当然とっくに成人して中年になっている)施設にいるけど帰りたいと訴えがはじまったり(このケースはかわいそうですね)
無理に否定せず「子供はオムライス食べさせといて寝ましたよ」というと
「良かった」と安心された事もあります。
このケースではこういう結果が出ましたが、この対応が正解なのかは今でもわかりません。症状によって対応は変ってきますしね。
昔の思い出の中に生きているように思える時もあります。
私が接してきた感想になってしまいますが
私も「学校行かないと卒業出来ない」と夢で見て起きて学校は終えてとっくに成人していると思い出す事がたまにあります。「あ、違うわ」って。
きっとその状態が起きている間続いている様な症状(感覚)ですかね。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。
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