介護のいま

保険制度や介護やセルフメンタルヘルマネジメントを発信します。広告を含んでいます。

#1口から介護 (介護職につくまで)

私にとってサラリーマン最後の時期は「あなたはもう役に立ちません」と思わせる拷問椅子のようなものだった。

その数ヶ月前思い描いていたプロジェクトが大失敗に終わり、謝罪興行の果て

一緒に戦ってきた上司はうつ病で休職。

燃え尽きて、ストレスで食事があまり食べれなくなった。

プロジェクトの期間中私は周囲に一定の期待を受けていたと思う。

いくつかのミスと見込みの大きい甘さが大失敗を招き私には手の打ちようがない状況になってしまった。

ただこの状況で逃げ出すという選択も当時の私にはなかった。

大変な時期にその場からいなくなる事は出来ないという今思うとひとりよがりの責任感は持ち合わせていた。一方で数ヶ月前から将来的な退職は考えはじめていた。

組織の目標達成には一喜一憂しても、自分がその場所でどういう気持ちなのかという個人的な感情は社会人なので主張する事はなかった。

ある日上司から異動してはどうか?という話をされた。

今は体調不良と精神的な不調に苦しんでいた自分へ対しての上司の優しさだったと理解している。(優しさそのものだったと思う)

異動先は悪い条件ではなかった。

ただその時の私は、大変な状況だからここで責任を果たさないと次に進めないという勝手な思い込みから解放され緊張の糸が完全に切れてしまった。

その場で辞意を伝えた。

結局「去り際の美学」なんて考えている余裕はなかった。

そう、すでに退職は数ヶ月前には決断できていた事だった。

その瞬間に「いつか今より部署がよくなる」迄待つ必要なんてなかった事に気づいてしまった。

その日を境に食事はおいしくなりよく寝れるようになった。

辞める事が決まっている会社に出勤するのは、引け目を感じる時もあったがもう他人の評価も気にせず、物事が思い通りにいかなくてもそこに所属している人間として憤る感情も持たなくていい、計画通りすすまなくても自分は大丈夫(周りの人も大丈夫)と考えられるようになった。負け犬だと思われてもいい。今は自分の人生に納得がいくように生きる為のプロセスに過ぎないのだから。

夏はあれだけ苦しかったのに秋はどこへでも行けて、どこに行ってもいいような気持ちでいっぱいだった。

海外移住でもするか、安宿でも経営するか(実際にはそんな資金は持ち合わせていない)本当にやりたいことを学び直しをするのも悪くない。

 

ただ周囲から「辞めてどうするんだ?」といった類いの質問は避けては通れない。

何か現実的な周囲を納得させる為の理由が必要だった。

「福祉の仕事をする」

何故そんな(今の仕事から)一貫性のない事を急にやりはじめるんだという素朴な疑問やある種の嫌悪に発展する事もあった。

私はその疑問や嫌悪に信憑性を持たせる為に退職日迄に(有給消化もあったため)最初に務めた施設へ面接と一日見学を終えてしまい採用もされていた。

瓢箪から駒ならぬ、私の「口から介護」は退職理由として現実になった。

 

そして私は有給消化の翌日1日から介護施設で勤務するようになる。

 

ここまでお読みいただいてありがとうございます。

このサイトでは介護に関する情報や事例・保険制度の情報、セルフメンタルヘルスマネジメント、生命を描いた作品等を発信していきます。