介護のいま

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#12 経験が浅かった頃の終末期

ある時、私は絶好調だった。

ユニットにいる利用者、ほぼ全員から信頼を受け「好かれている」状態だった。

他職種からも「すごい人気だね」と言われたものだった。

仕事は楽しかった。

利用者が家族のように感じていた。

家族そのもののような感情を持って働いていた気がする。

 

その頃大事な利用者が急に難病で終末期になった。

その方は中でもとにかく特別だった。

私は少年時代も青年時代も転居が多かったが、その方は偶然にも私が幼稚園の時に同じ地域に住んでいて私を知っていたのだった。

私も少し記憶にあった「そうか、あの方だったのか」と。

その方と先日まで一緒に笑ったり、テレビでスポーツを観戦したりその方にとって大事な話を傾聴したりと過ごしていた。

急な体調変化で最後に交わした言葉は

「明日は来るの?」

「今日は何時までいるの?」

だった。

 

終末期に入ると体位交換・ポジショニング・呼吸確認・・。医師でも出来る事が限られているのに介護職は本当に限られている。点滴もルート確認しか出来ないのだから。

その方が亡くなった。

先輩職員から「あんた●●さんに特別な思い入れがあるかもしれないけど、引きずるんじゃないよ」

と言われた。そんな風に見えたのだろう。

 

数ヶ月後私は人事異動になり、(異動はしたくなかったが終末期対応に何も出来なかった事が悔しくより医療的な場所だったからあっさり異動を受け入れる事ができた)そこで求められている事や業務が慣れてきた頃ある日突然気づいた。

あの時期は利用者に好かれていたから楽しいのではなく、自分が利用者を大事に思えていたから楽しかったのだと。

 

特にあの方は幼少期に私をかわいがってくれた経緯がある方だから家族のように思えて、急な体調変化から亡くなった後まで悲しい気持ちが残っていた。

 

今でも利用者を家族を思うような気持ちがあったその時期(こういう感情はあまり普通とはいえない)ある種全情熱を持って働いていた時期を思い出すと情景やその頃の温度が胸に返ってくる。仕事が終わっても心配で帰りたいと思えないのだから。

「自分の親でも納得出来るような接遇やケアの向上をしなさい」みたいな事を新人は言われる時がある(最近は言う人に会った事が無いし言われている人もみないが)。

それも大事だが、家族ではない、かといってお客様でもない・・。

もちろん気持ちは大事だけど信頼関係と利用者への興味尊重する気持ちがあれば、引きずるほどの家族と同列の感情は必要ないのかと私は思う。もちろん人間だからモヤモヤとした気持ちを抱く事は今でもあるが。

 

 

多くの利用者と接し出会いと別れを繰り返す内に終末期の振り返りはしつつ反省点があったら次につなる努力はするが、感情は引きずる事無くすぐに前を向くようになっていった。

利用者を大事に思う気持ちは大事である一方で、言い方は悪いが利用者は家族ではない。

あの時のように利用者を家族のように思えていたら私は仕事を続ける事が出来ていただろうか。

本人と家族の気持ちに寄り添う事は大事だが利用者と介護職という関係以上ではない。

 

所で私は新人の頃、亡くなった方を発見するのが怖かった。

特に夜間などは自分のせいの気がした時もあった。

その方の対応を終えて私も気持ちが変化が生じた。(施設でなくなるという事は家族が来れない事も多い為)最後の瞬間を出来れば寂しくないように一緒にいれればと思うようになった。

死ぬことは人生の一部。

人は100㌫寿命はくるのだから。

恐れる事もない。

関わる者は介護職としてどういう気持ちとどう最後を寄り添い見送る事ができるか。

【イチロウ】

 

その方が亡くなった数ヶ月後 こうも思った。

急な体調変化で最後に交わした言葉

「明日は来るの?」

「今日は何時までいるの?」

これは新人介護職員への最大級の信頼の言葉だったのではないのかと。

 

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